【昔話①】クリエイター支援に関わるきっかけ

昔話

私の昔話を通して少しずつ自己開示していきたいと思います。

クリエイター支援のきっかけは今から14年前(2007年)にアニメーター志望者との出会いに遡ります。

当時高校生だった私は創作意欲にあふれており、下手なりに物語を考えたり実写で映像を撮ったりしていました。

時は2007年6月。ある日アニメを作ってみたいと思い、インターネットでいろいろと調べていると「エアーマンが倒せない OPアニメ風」という自主制作アニメを見つけたのでした。

ニコニコ動画(Re:仮)

作品の完成度の高さと作者が自分と同い年ということに衝撃を覚えました。

そこで当時の私は何を思ったか、作者のHPを見つけては「アニメの作り方を教えてほしい!」とメールを送りました。

案の定返事はなく…。

その間に高校の近くにあった杉並アニメーションミュージアムに行き、初歩的なアニメの作り方を聞きました。絵心のない私一人ではアニメは作れないと思い、自主制作アニメサークル「La revo」を立ち上げて制作者集めをすることに。

1か月後、その作者にもう一度メールを送ってみると返事が返ってきました。

作者自身が参加するかは未定だが、作者のHPの掲示板に制作者集めの記事を載せても良いという内容でした。

何も知らずにただアニメを作るために制作者集めに邁進する秋吉。

その作者が当時はアニメーター志望者で、後にアニメーターとして活躍する小嶋慶祐さんともその時は知らずに…。

※この記事は2016年に公開したブロマガ記事を基に加筆修正しています。

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